神社の歴史

神社が現在のように、建物として存在し始めたのは、





奈良時代に入ってからと言われています。

奈良時代以前は、山・岩・大きな木など、

あらゆるものに神が宿るとされ崇め奉り、





四季折々の祭りを行なっていました。

そして、次第にそこは通常の場所とは異なる、

神聖な場所として人々に区別されるようになっていきました。

1.自然崇拝の時代

古代では、あらゆる物に神が宿るとされ、巨大な岩、大きな木、山などは、「崇高な神が住む特別な場所」と考えられていました。その宿られるものは、神様として拝め奉り、四季に応じて様々な祭りを行いました。(秋の豊作を祝う新嘗祭など)

その後、その場所を特別な場所とし認定し、日常生活を送る通常の場所とは違う、神聖な場所として区別するために縄を張ったり、石で囲いを作ったりし、区画をし始めたのが神社の始まりとされています。

”神様を祀る場所”として、神社という概念が生まれました。

また、この頃から御神体や御神木というのは、成立していたと考えられています。

2.神社の成立

上記のように、人々が神社に集まるようになったことで、神社を中心とした生活圏が形成されていきます。そして、その地域に住む人々が、農家・大工・石屋などの様々な職業を持ちました。

当時の暮らしは、お米のでき次第で大きく生活が左右される状況だったので、豊作の感謝やお礼の代わりにお供え物を奉納することが習慣となりました。新酒の時期に有名な神社に行くと、お酒の樽酒が並べられていることがありますが、これは”献酒”といい、この頃からの名残りが現在でも残っています。

また、この頃に雨風を凌ぐために社殿・社(やしろ)を建てたのが、現代の人が認識している神社の始まりです。

中でも、地域で力のある豪族などが自分たちの氏神を祀るために造ったと考えられています。

3.奈良時代

律令制度という政治体制が成立した奈良時代に入ると、諸国の神社のうち天皇に認められた神社は、祈念祭の時に天皇から幣帛(へいはく=神様へのお供え物)が送られ、天皇の代わりに勅使と共に幣帛を神様へ献上するようになりました。それらの神社を「官社」と呼びます。

このように人集まる場所である神社を組織化することによって人々を掌握しました。

4.平安時代

平安時代の初期には、律・令・格の施行細則を集成した法典「延喜式[えんぎしき]」が編纂されます。その中の神名帳には、官社として認定されていた神社2681社が記されており、ここに記された神社を「式内社[しきないしゃ]」といいます。

現在でも、神社の案内などに「式内社」という単語が出てきますが、これは「官社として延喜式にも載っている神社である」という意味なのです。

平安初期まで、神社はそれぞれの土地の氏神信仰をメインとしてきましたが、中期頃からは、信仰の強い神を一定の地域を越え祀られる様になっていきます。稲荷、八幡、天神などはその代表で、熱い信仰により、全国各地に広がっていきました。

5.鎌倉時代〜室町時代

鎌倉時代に入り定められた、基本法「御成敗式目[ごせいばいしきもく]」の第一条には「神社を修理し祭祀[さいし]を専らにすべき事」とあります。幕府は神社を積極的に保護するようになりました。

しかし南北朝時代の分裂で国家の統一力が弱くなり、神社を保護する力も弱体化しました。この影響により荒廃する神社もありました。

一部の地域では、一般市民の神社信仰はさかんで、伊勢講や熊野講など、有名な神社の「講」組織がいくつもできて盛り上がったのもこの時代です。

6.安土桃山時代

戦国時代には兵火によって各地の神社は、より荒廃していきました。織田信長、豊臣秀吉は、造営費を寄進するなど窮乏した神社を保護を強化しました。

天下統一後に秀吉が行った、「太閤検地」では、神社も対象になりました。いかなる神社領も検地して領地を没収、朱印状による石高をもって、これを全国の神社に寄付したのです。信長、秀吉の確立した封建態勢は、神社に対する政策においても、次の徳川幕府の基礎となっています。

7.江戸時代

徳川幕府は国策として、それぞれの地域に寺を建立し、檀家と寺の関係を強固にする事で、国を強化していきました。

その影響で従来の官社は、仏教色の強い神社となり、神仏習合が益々強くなっていきました。しかし、官社とはすこし異なる、氏神様信仰の神社は、大衆信仰として、益々地域に根ざし、村人の集合の場所として益々盛んになります。

また、村人が代表で参拝する人を選び、伊勢神宮に参拝したり、金毘羅さん参り等、神社は大衆信仰がより強い所として参拝され始めました。

8.明治時代

今から約2680年前、神武天皇が即位された日より今日を迎えています。

天皇家は代々、日本を神の国として神道を崇拝していましたが、特に江戸時代、徳川幕府は仏教を国の政策に大いに利用するために仏教を重宝しました。そうして神道と仏教の距離は縮まっていきました。(神仏習合)

しかし、明治政府設立時、天皇家が大切にされている信仰は神道として、廃仏毀釈を行い、神仏を分離したのです。そして神道を国教としたのです。これが所謂、国家神道なのです。

9.近代〜平成時代

歴史の中で、国民は、神道と仏教の区別をする事無く、同化させたように信仰しています。安土桃山時代に伝来したキリスト教も同じくです。

様々な信仰が伝わってきた歴史の中で、我が国の人々は、単一の信仰より複数の信仰を有する事が出来るようになったと考えられています。

正月には神社参拝。お盆には仏教で先祖供養。キリスト教のクリスマス。死者の弔いは仏教。

この様な信仰は長い年月をかけて形成されたもので、今後も続けられていくでしょうが、正月・七五三や収穫の祈りや感謝祭等、日本人の原点と言える神道は日本人として誇り、後世にしっかりと伝えなければならない文化です。