社格

社格とは、長い歴史の中で、生まれた崇拝上の区別です。

古代・中世・近代と時代によって変化してきました。

現在は戦争の影響で、制度自体は廃止されてしまっており

名残しか残っていませんが、





神社を知る上で、重要な手がかりとなります。

1.上古社格制度 (奈良時代以前)

天津社

天津神を祀る神社

国津社

国津神を祀る神社

この時代の神社の社格は2種類のみとされています。

2.古代社格制度(奈良時代〜平安時代)

式内社

奈良時代から平安時代にかけて作られた「延喜式[えんぎしき]」(現代でいう法律のようなもの)の中にある「延喜式神名帳により、官社として認定された神社を「官社(式内社)」と呼びます。
式内社は、格式高い神社であることを示す社格として非常に重視されました。

官幣社

式内社の中でも「神祇官(天皇の祭祀を司る部門)」から直接、奉幣を受けていた神社。それぞれ大社・小社に分けられていた。

国幣社

式内社の中でも「国司(地方行政の行政官として天皇から派遣された人)」によって奉幣を受けていた神社。天皇が遠方の神社に全て出向くことは難しいので、代理を立てたことが始まりです。官幣社と同じく大社・小社に分かれています。

同じ式内社でもこのような違いがありますが、遠方であっても重要な神社は官幣社となっていたので、当時の都から離れた場所にある官幣社は天皇も特別視した神社ということになります。

また、当初は官幣社のみに菊花紋章の社殿の装飾への使用が認められたが、明治7年(1874年)に国幣社にも認められたので、官幣社が国幣社よりも天皇に重要視されていたことが分かります。

3.近代社格制度 (明治維新以降)

官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社の順で社格が高いとされています。

官社

祈年祭新嘗祭に国から奉幣を受ける神社。

官幣社

古代社格制度に倣い、神祇官が祀る神社。それぞれ大社・中社・小社として区別されています。

国幣社

官幣社と同じく、古代社格制度に倣い、地方官が祀る神社。こちらも大社・中社・小社と区別されています。

別格官幣社

国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神として祀る神社。

民社(諸社)

諸社は府県社郷社村社に分類される。
府県社は府・県から、郷社は府県、郡または市から、村社は市町村から奉幣を受けた神社。
藩社は藩から奉幣を受けていたが、廃藩置県で廃止されました。

官社は、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社の順で社格が高いとされています。

民社は、府社=県社=藩社>郷社>村社の順で高いとされています。

3.中世社格制度

一宮 (平安時代初期〜鎌倉時代初期)

新たに国司が赴任した際に国内の神社を参拝しなければならなかった時に、一番初めに参拝することになっていて、旧国名の国の中で最も格式の高い神社とされていた。

一国の中に複数の一宮が存在する国もある上、一宮について明確な説明をしている書物もないことから、自ら名乗りを上げて一宮となったものもあるようです。
神社の空気感というものもあるので、一国に複数ある場合は巡礼して、肌で違いを感じてみても面白いかもしれません。

二十二社 (平安時代後期〜室町時代後期)

国家の重大事、天変地異の時などに天皇から特別の奉幣を受けた神社
律令制が衰退していき、全ての神社に奉幣することが難しくなっていきました。その中でも、天皇が継続して大切にした神社とも言われています。

勅祭社 (明治初期〜)

祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社
伊勢神宮は別格として、勅祭社には含まれない。

一代一度大神宝奉献 (平安時代初期)

新たな天皇が即位した際に、50の神社に宝物を奉納することを言います。
始まりは888年頃と言われているので、かなり古くから続けられており、その対象となっている神社は当時から現在まで存在し続けていることになります。